株式会社グリーンマンBLOG

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蛎太郎の独り言・東日本大震災(12)

余震はなおも続く・・・
震度4程度では、誰も揺れに触れることすら無くなってきました。
慣れとは恐ろしいものです。
ところが・・・またデカイ奴がやってきたー!
今回は立て揺れ、前回と違うシャッターが壊れてしまいました。
いつまで続くのでしょうか?

この戦い・・・

未だ、機械は動き出す事はありません。

蛎太郎の独り言・東日本大震災(11)

「応援してっから!」
「頑張っぺよ!蛎右衛門なぐなっと困るんだあー」
「出来る事あったら、何でも言ってけろ!」

日々多くの温かいご連絡頂きます。
有難い事です・・・・。

そんな中、埼玉県の生産者、ヴェルディールの山中君から
自ら発起人となり「頑張れ!グリーンマン!」応援メッセージサイトを
弊社HP内で開設するご提案を頂きました。

有難い事です。

日々、温かい声援に感謝です。

蛎太郎の独り言・東日本大震災(10)

気合!根性!

これがなければ、務まらない作業が待っていました。
工場のある大崎市は、この地震で最も揺れた地域の一つです。
南北の方向に、大きく長く揺れたので、パレット積みしてある肥料の多くが
荷崩れしてしまいました。

ファイル 49-1.jpg

復旧作業です。
このままの状態では出荷・輸送できません。

20kg袋の積み直し・・・
それも大量に・・・
上腕二頭筋と腹筋、背筋が悲鳴をあげます。

いつになったら終わるんだ???

スタッフ達は、愚痴ひとつ言いません。
頼もしい・・・。

災害後、日常の変化に誰もがストレスを感じる時期です。

そんな中、いつも笑顔で・・・
心強い限りです。

蛎太郎の独り言・東日本大震災(8)

今日はいい天気です。

朝夕は冷え込みますが、東北にも
少しづつ春の兆しが見えてきました。
工場の周辺は、何事も無かった様に穏やかです。


念願だったガソリンを入手出来たので
鳴瀬へ向かいました。

幾つかの道は、閉鎖されていたものの迂回を重ね
鳴瀬川沿いの道に出ます。

鳴瀬川と吉田川は平行に流れているのですが、
道を進めると、
河川脇の至る所に大木が折り重なるように
積み上げられています。

流れてきたのか?
波に押寄せられたのか?

なおも進むと景色が一変しました。
瓦礫の山、山、山・・・
未だに水が引かない所が多く見られます。

何度も通った道ですから、迷う筈がありません。
しかし、道に迷いUターンを繰り返しました。
目印となる建物が、すっかり無くなっているのです。

海岸線の道にでると

そこは、惨状・・・

全身に恐怖を感じます。

道は、自衛隊の方々の努力で瓦礫は撤去されているものの
船、車、家屋、電柱、木々、瓦礫の山、山、山・・・
目を覆う光景が続きます。

写真は何枚か撮りましたが
とても、ここでアップする気にはなりません。

なおも車を進めますが、道路には亀裂、
4駆でも腹を擦る程の大きな段差がありました。

ようやく、原材料置き場に着く事ができましたが、
明らかに地形が変わっています。
周りは海です。


重機(バックホー)は?

近くには見当たりません。

事前に聞いていた場所を探すと・・・

ありました・・・

海中に・・・


ファイル 47-1.jpg
アーム上部が見えます。
ここは、元々は海ではありません。

海岸線が変わっているのです。

昨日の先発隊から報告は受けてはいたものの
現物をみると、正直ショックです。
悲しい気持ちでいっぱいになりました。

ダンプは?

近くには見当たりません。
ファイル 47-2.jpg
先週、全塗したばかりなのに・・・

家が流されたのに比べれば・・・。
そう、思い込むしかないのでしょうか・・・

スタッフが巻き込まれなかっただけでも
不幸中の幸いです。

もし・・・
考えただけでも寒気がします。

蛎太郎の独り言・東日本大震災(7)

バックホーが発見されました。


海中で・・・


悲しい知らせです。

今朝、工場長がチームを率いて探索しに行きました。
僅かにアームの上部が見えたそうです。

「震災前とは、海岸線が変わっている!」

「一帯が海だよ!」


胸が痛みます・・・。


ロングアームに大きく GREENMAN と
ペイントされ、縦横無尽に働く姿をもう見ることは出来ません。

ファイル 46-1.jpg
置き場から80m程、離れた場所だそうです。
あんな大きな重機が???
津波の力を思い知らされました。


ダンプは?


「・・・・」


工場長は無言で首を振りました。
きっと、海の中なのでしょう。

もう一台の重機は、カキ処理場の裏手に停めてあったのですが、
規制がされ、未だに近付けないとの事です。

正直、厳しい・・・

自然災害とは言え、やるせなさが、つのります。

蛎太郎の独り言・東日本大震災(4)

少しずつではありますが、通信網が復旧しつつあり
浜の方々との連絡が取れ始めました。

何度、電話をしても繋がらず、定型の
電波の繋がらない場所におられるか電源が入っておりません

このアナウンスを聞く度、胸が締め付けられました。


やっと連絡が取れた方によると
東名の町は津波にのまれ、大半の家は流されて。
多くの方がお亡くなりなられたそうです。
心から、ご冥福をお祈り申し上げます。

避難され、難を逃れた漁師さんが

「まるで地獄絵図だった・・・」

「家もない・・・船もない・・・」

絞り出すようにお話される声を聞いて
僕も涙が溢れてきました。

最後に
「でもな、頑張るしかねえんだ俺達は!」
「力を合わせて頑張ろうな!」

そのひと言に新たな決意が生まれました。

被災地の真っ只中にいる方を考えれば
多少の事は、耐えられます。


グリーンマンは戦います!

蛎太郎の独り言・東日本大震災(3)

工場は大崎市は宮城県の内陸部に位置し、実家のある仙台市内まで約50km。
通常でも1時間の道のりだ。
周囲の道路の信号は停止し、すでに渋滞は始まっている。
工場にあった僅かな水や食料を乗せ出発する。

幹線道路は、大渋滞が予想されるのでナビ頼りで農道をひた走る。
途中小さな橋が落ち、迂回を繰り返す。
道路には至る所で亀裂が走り、段差は多数・・・
水道管が破裂したのか、水が噴出しているのが見えた。
半壊した建物、完全に滑落した崖、
あちらこちらでブロック塀が倒れている様が地震の大きさを物語る。

雪が降ってきた・・・

とうとう渋滞に巻き込まれてしまった。
停電で街は暗闇、車のブレーキランプだけが赤い帯を織り成していた。
3時間経過するも行程の半分も進んでいない。
その後も余震は断続的に続いている。

車載テレビでは、早くも被災地の映像が流れている。
見覚えのある町並みが津波に飲み込まれていっていた。

言い様の無い感覚が、全身を包んでいた。

陸橋の上で強い揺れ
この橋が落ちたら・・・
車が激しく揺れ、一瞬、死を覚悟する。

今週春肥の営業で北海道へ出張し、札幌、当麻、旭川、比布、北見のJAを回り
昨晩、フェリーで苫小牧港を発ち、今朝仙台港へ着いたばかりだった。
地震が何時間か、ずれていたら・・・
背筋が凍る。

ツイている。
とにかく今は生きてる・・・

携帯は不通、家族の安否もわからない
急に不安に襲われる。

ようやく6時間後、実家に辿り着く。
幸いにも家族は無事だった。

ロウソクの灯りの中では、工場と同様に
倒れたキャビネット、飛び散ったガラス片が散乱していた。

蛎太郎の独り言・東日本大震災(2)

揺れは突然やってきた。

商談中、ドッスンと大きな衝撃から始まった。

地震には慣れっこな仙台人の僕でも、尋常な揺れで無いことは
直ぐ解かった。

「緊急停止~!」

工場長が叫ぶ!

建物から飛び出す。軋む建物・・・
外に出てみると、全ての電柱が大きく揺れている
道路が波打っているのが、見てとれる。
立っていられないほどの揺れ、
遅れてスタッフも飛び出してきた。
全員の安全は確認できた。

まだ揺れは止まらない・・・
場内に停めてある軽トラがジリジリと動き出す。
愛車の盗難防止アラームが響き渡る。

最初の揺れはとても長く感じられた。

揺れの治まりの間隙を突き、事務所に戻ると
そこは散々たる状況であった。

書類棚は倒れ、机上のパソコンは至る所に散らばっていた。
その間にも余震が何度も続いている。

工場の被害は?

かなりのダメージである事は間違いない・・・
今までの苦労を考えると、心の芯に痛みを覚える。

簡単なミーティング後、解散。

とにかく家に帰らなきゃ・・・

蛎太郎の独り言・東日本大震災(1)

3月11日午後、宮城県は未曾有の巨大地震に襲われました。
まずは、安否のお問い合わせを頂いております皆様へ
スタッフ及びその家族は全員無事である事をお伝え致します。

沢山のご心配のご連絡、誠に有難う御座います。

地震から5日経ち仙台市内は、通信網が戻りつつありますが
数日間は不通の状態が続いておりましたので
皆様には大変、ご心配をお掛け致しました。
この場を借りて御礼、感謝申し上げます。

ただ、未だ東名地区のカキの漁師の方々と、どなたとも連絡が取れておりません。
ご無事でいる事を心からお祈り申し上げます。

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